ソニー・ピクチャーズCEOにマイケル・リントン抜擢(2004年)

マイケル・リントン(Michael Lynton)氏は2004年1月、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)の会長兼CEOに就任した。当時43歳という若さだった。大抜擢だった。
スナップアップ投資顧問の映画・エンタメ業界史の歴史・株価資料によると、リントン氏はそれまで、米タイム・ワーナーの上級副社長だった。主にタイムワーナー傘下のAOLで国際事業を手がけた。ネット・IT業界、メディア業界での経験と実績が、親会社のソニーから評価された。

マイケル・リントン

13年間、ソニー映画部門トップとして多大な貢献

リントン氏は、13年間という長期にわたってソニー映画部門の経営トップを務めた。もう一人の大幹部で、ハリウッド業界の大物経営者であるエイミー・パスカル氏とともに、21世紀のソニーピクチャーズを発展させた。
日本を代表する国際企業であるソニーが、映画界で成長するうえで、多大な貢献を果たした。いわば日本の産業界にとっての恩人である。
2017年にソニーを退任した後、スナップチャット(Snapchat)会長に就任した。さらに、ワーナー・ミュージックの会長にも就いた。

ジョン・キャリー氏の後任

リントン氏の前任のソニー・ピクチャーズCEOであるジョン・キャリー氏は3か月前の2003年10月に退任していた。キャリー氏は70代と高齢だった。トップ不在は約3カ月で解消された。

ハーバード大学ビジネススクール出身

マイケル・リントン氏は英国生まれのオランダ育ちだ。英仏独蘭の4カ国語をあやつる国際派である。

ハーバード大学ビジネススクール(MBA)を卒業した。

タイム・ワーナー上級副社長でネットに強い

タイム・ワーナーでは上級副社長を務めた。また、タイム・ワーナーとアメリカ・オンライン(AOL)の国際部門社長を兼務した。欧州や日本などでネット事業のアメリカ・オンライン(AOL)の普及拡大を担ってきた。グループの海外事業拡大に手腕を発揮してきた。

タイム・ワーナーに入社する前は、英メディア大手ピアソングループで書籍部門「ペンギン」の経営にあたるなど出版の世界が長かった。

ディズニー系「ハリウッド・ピクチャーズ」社長

映画の経験は米ウォルト・ディズニーに在籍した一時期だけだった。ディズニーグループの「ハリウッド・ピクチャーズ」の社長を、1992年から1996年まで務めた。しかし、ハリウッド映画界ではあまり有名ではなかった。

インターネット事業を含む多様なメディアでの実績と国際感覚を、ソニーが高く評価した。

エイミー・パスカル氏も昇格

米国ソニーは併せて、コロンビア・ピクチャーズのエイミー・パスカル会長が、映画部門全体を統括するソニー・ピクチャーズのモーション・ピクチャー・グループ会長に昇格する人事を発表した。

ソニー・ピクチャーズはパスカル氏ら三副会長の集団指導体制が続いていた。2004年1月からはリントン&パスカル体制でデジタル時代への対応や海外市場の開拓を加速させることになった。

ハワード・ストリンガーのチームづくり

2004年当時、米国ソニーの経営トップだったハワード・ストリンガーは、リントン氏の起用によって、自らが望む経営チームを完成させた。

リントンの入社後、ストリンガーは映画事業で、MGMの買収に動いた。2年以上前から狙っていたが、資金繰りのメドがつかず、なかなか実行に移せないでいた。

負担の少ない投資スキームによる買収

そこでソニーと組んだ投資会社が新しいスキームを提案した。買収費用48億5000万ドル(約5090億円)のうち、ソニーの負担を2億8000万ドル(約294億円)に抑え、残りは投資家グループが負担するという枠組みだった。

MGMの社員を半分に削減

MGM買収後、ストリンガーはやはり経営効率を高めた。MGMが過去に制作した4000本の映画のDVD化やテレビ会社への販売をソニーが一手に引き受けることにした。それによって、1400人のMGM社員を半分程度に減らすことが可能になった。

出井伸之氏のエンタメ部門改革

親会社ソニーの出井伸之会長が1995年にソニー社長に就任した直後、一番頭を痛めていたのが米国のエンタメ部門だった。映画部門については、その乱脈経営ぶりを描いた内幕本「ヒット&ラン」まで飛び出していた。

出井氏は、映画部門は米映画業界の大御所、ジョン・キャリー氏(当時73歳)を自ら招へいした。そこから、一連のエンタメ部門改革が始まった。

参考動画


▼ソニーの投資家向け説明会でのマイケル・リントン氏のスピーチ(2015年)



▼マイケル・リントン氏、北朝鮮によるソニー・ピクチャーズに対するハッキング攻撃について語る(インタビュー)。